cinecaのおいしい映画

『ル・アーヴルの靴みがき』

Oct 31, 2020 / CULTURE

“ピカピカのエクレア”

映画を題材にお菓子を制作する〈cineca〉の土谷未央による連載。 あなたはこのお菓子を見て、何の映画かわかる? 自分が知っていたはずの映画も、視点や考え方を少し変えるだけで全く違う楽しみ方ができる。それは、とてもアーティスティックで素敵な感性。

PHOTO_Nahoko Suzuki
EDIT_Hitomi Teraoka(PERK)

世界がなんだか狂っている。というよりも狂っていることが顕在化した、と言った方が正しいだろうか。これほど狂気がむき出しの時代に、自分が直面することになるとは思っていなかった。人種問題、ジェンダー問題、難民問題等々私たちが抱える多くの問題がCOVID-19の襲来によって浮き彫りになったように見える。

正しさとはなんだろう。と考える時間が増えた。書面に記された指針や、その通りに律することが本当に正しいのだろうか。どう行動したら傷つく人がなるべく少なく済むか、考えても考えてもいい答えが見つからない。現実から目を背けたくなることもある。よく知る映画のように、ヒーローがどこからともなく颯爽と現れて、悪い人たちをちゃちゃっと退治して、守られるべき人たちが救われました! なんてならないかなと妄想したりもする。

アキ・カウリスマキという映画監督は、厳しい現実に生きる市井の人々の哀歌を、ドラマ性をギリギリ排し、絵画的に描くことに長けたつくり手であろう。真正面から悲しみに向き合った表現はせずに、ユーモアを持ってして現実を乗り越えようとすることが健康的だ。映画『ル・アーヴルの靴みがき』も、密航者のアフリカの少年を救った靴磨きのおじさんの美談。と解せるが、そうは言わせないのがこの作品の美しさ。陳腐な言葉を使ったりはしない。在るのは、わざとらしいほどの眩しい光と、服と花と家具とカフェと音楽の象徴的なカラーを見事に配置させた、愛に溢れた詩的ファンタジーなのである。

主人公のマルセルは靴磨きを生業にして、贅沢を求めることもなく質素に暮らしている。ある日密航者の少年イドリッサをかくまうことになると、状況を察知した周りの人たちも、だんだんとさりげなく手を差し伸べてくれる。一人のおじさんの、キラリと光る優しさが、周りの人たちへ伝染していく様子は、言葉少なにスクリーンに映る役者の表情と彼らが纏う衣服、座る椅子や手に持つ花で語られる。

その優しさは誰もが持っているものだろうけれど、上手に使うことは難しいかもしれない。靴磨きという仕事は、もっとも人々に近い仕事だとマルセルは言う。“他人の靴を磨く”というある意味では屈辱的とも思われる行為を重ねていくことが、自分をも輝かせるのだろうか。他人のものに手をかけてあげることこそが、生きていくことのようにも思える。明日歩くためのものを磨くうちに、自らの心も磨かれていた。そして磨かれた心に光があたると、いつの間にか鍛えられていた優しさが真価を見せる。そんなもののあはれが『ル・アーヴルの靴みがき』にはある気がする。だから、何度観ても心地がいいのだろう。

自身の愛犬を映画俳優として登場させることでも知られているアキ・カウリスマキ監督。本作では、前作『街のあかり』に登場したパユの子、ライカが登場。知る人ぞ知る、“パルム・ドッグ賞”(カンヌ国際映画祭で優秀な演技を披露した犬に贈られる賞)では審査員特別賞を受賞し、ますます次作での演技が期待される俳優犬だ(ちなみに同年、パルム・ドッグ賞を受賞したのは映画『アーティスト』のアギー。彼の演技も本当に本当に素晴らしかった)。
監督・脚本・プロデューサー/アキ・カウリスマキ
出演/アンドレ・ウィルム、 カティ・オウティネン 他
© Sputnik Oy

PROFILE

土谷未央
菓子作家/映画狂。東京都生まれ。多摩美術大学卒業。グラフィックデザイナーとしてデザイン事務所勤務後、製菓学校を経て2012年に映画をきっかけに物語性のある菓子を中心に制作する〈cineca(チネカ)〉を創める。手法として日常や風景の観察による気づきを菓子の世界に落とし込む。毎日映画を観ている。執筆業なども手がける。
http://cineca.si/
https://www.instagram.com/cineca/