MIO TSUCHIYA
Jul 02, 2021 / CULTURE
cinecaのおいしい映画
“イメージのポップコーン”
映画を題材にお菓子を制作する〈cineca〉の土谷未央による連載。 あなたはこのお菓子を見て、何の映画かわかる? 自分が知っていたはずの映画も、視点や考え方を少し変えるだけで全く違う楽しみ方ができる。それは、とてもアーティスティックで素敵な感性。
PHOTO_Nahoko Suzuki
EDIT_Hitomi Teraoka (PERK)
どうかしている。あの人どうかしている。世の中どうかしている。世界がどうかしている。どうかしている感情に溺れそうになると、どうかしている映画『スイス・アーミー・マン』を再生して心の安定剤にするのがなかなか良い。
無人島に男が一人。その男ハンク(ポール・ダノ)は今にも首を吊ろうと首に縄をかけているところで、視線の先の波打ち際に、打ち上げられた男の死体を発見する。死体(ダニエル・ラドクリフ)に近づいてみると、ぶぶーとオナラの音が聞こえてくる……どんどん勢いが増すオナラの音……もしかしたら、オナラが水上の移動の推進力になるかもしれないと考えたハンクは、死体にまたがりて、まるで馬に乗った騎士のように手綱をひき、お尻を叩き、その、オナラがエンジンの乗りもので大海原へ漕ぎ出すクレイジーなオープニングに度肝を抜かれる。
遭難者ハンクは島での孤独な日々に絶望していたが、死体に“メニー”と名付け、サバイバル生活の相棒を持つことで、徐々に希望を抱き始める。ときに、乗りものとなり、水の出る蛇口となり、木を切る道具となり、酸素ボンベとなり、動物を仕留める銃となり、話し相手となり、恋人となり……あらゆる機能を持つ便利なメニーは、まるで、“スイス・アーミー・ナイフ”のような存在だ。
死体なのに道具になったり、下ネタを連発したり、真っ白なお尻を丸出しにしたり、オナラも度々ぶぶーと、とにかくどうかしていると思う。正気とは思えない作品だ。けれど、メニーは、ハンクの中にいるもう一人の自分なんだろうと考えてみると、くだらないと言う言葉では片付けられないし途中で席を立つこともできない。“もういらないもの”として簡単に捨てることを許してはくれない。
人生ってなんなんだ? と、空虚でどうにもならない窮地に立ったときの道案内をしてくれるのがメニーだ。どんな窮地にも必ず抜け出す手があるはずだと、なんで捨ててしまうの? なんでこれはゴミなの? と、こちらが勝手に作った常識を破壊するような、根源的な疑問を投げかけてくれる。誰かがいらなくなった本も、空になった菓子箱やピザ箱も、ボトルを留めていたコルク栓も、捨てた思い出も、役立たずの死体も、本当にゴミなのだろうか、と。
話が進むにつれてメニーはもう死体には見えないから不思議だ。死体というより、昔のまだ幼い頃のなつかしいハンク(私)と言ったほうが正しいかもしれない。
この奇想天外な快作の鑑賞を終えた今、私の想像力は無限大だ。大人になってしまった価値観が壊れて、無邪気で幼い私が顔を出す。前例なんてものには縛られずになんだって作れる気分だ。ふと、視線を落とすと、部屋の床に小さな紙くずが転がっている。いつもだったらすかさずゴミ箱に捨てるところだけれど、目を凝らし、観察に集中すると、目に見えないものの存在が頭に映し出されてくる。私の記憶を手繰り寄せて自由な発想のままに進んでいくと、ついテーマソングを口ずさんでしまうあの名作が現れて、それを観るときに決まって摘まんでいたポップコーンの甘くてしょっぱい香りが漂う。食欲をかき立てられて思わず、転がっている紙くずを頬張ると、バターの風味に口が喜ぶ……。そういえば、ポップコーンってなんだか紙くずみたいだなっていつも思っていたんだ……やっぱり今日は、ちょっと、どうかしている。
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