Interview with
AUTO MOAI

Jul 06, 2022 / CULTURE

アーティスト、オートモアイに訊く
これまでのことと
今回のエキシビションのこと

——日によって、その時の状況によって受け取り方、感じ方が違うと。この質問もたくさん聞かれていると思いますが、オートモアイさんのスタイルともいえる“表情を描かれない人々”を描き始めたのは?
「自分が創作活動を始めたきっかけでもあるんですけど、その当時、他者性みたいなのがなくなっていて……。友人がすごく多いわけでもなければ、将来を約束している相手がいるわけでもない。それを孤独というのかどうかはわからないですけど、自分が社会に存在している自覚みたいなものを持ちづらくなっていたんですね。日々が淡々と進んでいくような感じで、自分が生きているのか死んでいるのかわからないし、なにかやりたいことがあるわけでもない。でも、すごく不満というわけでもないし、こう、ぼやーっと。自分が世の中から急にいなくなっても気づかない人はたくさんいるだろうし、家族とかは悲しむかもしれないけど、もっと広い目線で見た時に私一人が世の中からいなくなったところで、なにも変わらないなと思って。そんな時に自分のことを顔がない人だと思ったんです。メンタル的にも参っていたから、夜に団地の明かりとかを見ると、あぁ私みたいな人がいっぱいいるんだと思ってめっちゃ苦しくなって」

——自分以外にも、顔がない人はいっぱいいるんじゃないかと。
「そう。朝の出勤ラッシュの時とか、みんな周りの人の顔をいちいち覚えていないじゃないですか。あれに近いものだと思って顔がない人を描いています。そこにはポジティブな意味もネガティブな意味もなくて、構造的に大きなこういう箱の中、というか世界の中に人がいて、それを俯瞰して眺めるとそれぞれの顔というのは確かにあるんだけど、見えなくなってしまうという。今の状況もそうで、この瞬間この場にいる人の顔はそれぞれが認識していても、インタビューが終わって渋谷駅の人混みに紛れたらわからなくなるじゃないですか。だから顔はあるんだけど奪われるものでもあるし、見えなくなるものでもあると。それで自分の日常の生活というのも、私だけの時間も物語もあるんだけど、ほかの人にも適応できる普遍的な時間を私は過ごしていたと思っているし、今もそう思っています」

——ほかの人にも適応できる普遍的な時間……。
「働いてご飯を食べて眠るというのは、みんながやることじゃないですか。それぞれ微妙に違うんですけど、その共通点として同じ動きがあるから、上手く言えないけどそこには顔がないと思っていた。全部みんなと一緒だなっていうことをどういう風に表現するのかというのが、顔がないことだったんです。これもネガティブでもなんでもなく、ただ事実としてそうあるものという認識です。そこに特別な感情を入れていないので、悲しいとかそういう話でもない」

——肯定的でも否定的でもなく、物事の裏側を見る、考えるということが多いんですかね?
「感情の部分と感情じゃない部分はよく切り離して考えています。自分個人の物語ももちろんあって、その中に感情も存在する。だけど、自分という存在は誰もいない島の中で一人で生きているわけではなくて、その外的要因が必ずあって存在しているので、その構造の中で自分がどういう風に作用しているのか、みたいなことも同時に考えるようにしています」