cinecaのおいしい映画

『ボンジュール、アン』

Sep 23, 2021 / CULTURE

“月の満ち欠けアイスクリーム”

映画を題材にお菓子を制作する〈cineca〉の土谷未央による連載。 あなたはこのお菓子を見て、何の映画かわかる? 自分が知っていたはずの映画も、視点や考え方を少し変えるだけで全く違う楽しみ方ができる。それは、とてもアーティスティックで素敵な感性。

PHOTO_Haruka Shinzawa

Re-Edit / PERK 2018 September Issue No.27

こころは○で

 太陽を男に、月を女に例える慣わしがある。太陽はいつもまんまるの形だけれど、月は満ちたり欠けたり、光と影の作る変化に忙しい。

 夏になると、海や川、滝に憧れて、どこか遠くへ行きたくなる人も多いかもしれない。そんなとき『ボンジュール、アン』を観ると、食べること恋することを楽しむフランスの旅へ連れていってもらえる。  

 アン(ダイアン・レイン)は、夫(アレック・ボールドウィン)の映画関係の仕事でカンヌを訪れる。カンヌのあと2人でブダペストに立ち寄り、その後はパリでの休暇を楽しむつもりだったけれど、ブダペストで仕事漬けになる夫の姿が予想できるアンは、一人でパリに直行、夫とはのちほど落ち合うことを決める。パリへは一人電車旅行をするつもりが、夫のビジネスパートナーのジャック(アルノー・ヴィアール)が車で送り届けてくれるということで、思いがけず2人での車の旅が始まる。  

 合理主義者のアンは目的地へは最短コースで行きたいと急かすが、せっかくだから気持ちの良い季節のフランスの旅を楽しもうとジャックに諭され、陽が注ぐテラス席のランチに始まり、一面ラベンダー畑の美しい景色を横目に水道橋ポン・デュ・ガールへ到着、歩きながら3種類のジェラートをほおばり、一晩ホテルに泊まってゆっくりパリへ向かうことに。次の日はリュミエール博物館、ヴェズレーの3つ星レストラン「レスペランス」、サント・マドレーヌ大聖堂などの名所も巡り、観ているこちらもなかなか旅気分で楽しい。計画無しにそのときの気分で寄り道する旅は、予想外のアクシデントも褒美も手にし、いつもの私の中にはいない隠れた心が顔を出すようだ。      

 どんなときもカメラを片手に写真を撮るアン。食事中のメロンと生ハムが乗った皿、きっちりと積まれた石、皿の上では肉の引き立て役になるちっちゃな人参、食べ崩したヴィーナスの乳首など、自身がなんか好きと思う生活の細部を、気取らずに切り取る感じがいい。

 夫はいつも忙しくしていて妻が写真を撮ることを知らない。ときたま隙間風が吹く夫婦関係なのにアンが凛としているのは、日常のいい面を切り取って記憶に留めながら、自分の心のご機嫌取りが上手だからかもしれない。
 
 誰もが心に光と影を持つ。もしも心の形が月のように○だとしたら光と影の両方を足して綺麗な○になるはずだ。◯に成るにはどちらも欠かせない存在のはずなのに、どうしても光ばかりを追ってしまうのが人の性だろうか。    

 心の影とのつきあいがうまくいかず、誰かがこの澱んだ影を掬いとってくれたらいいのに、なんてタイミングがやってきたら、お気に入りのお皿にバニラアイスクリームをまあるく盛って、これまたお気に入りのスプーンですっぱりと一掬いしてみる。無作為に残された欠けた月のような形は、今私が見たい光だけ。その光をもう一掬いしたら、すっかり心も救われてしまった、そんなことになる気がするのだ。

エレノア・コッポラ80歳にして初監督作品。ヴェズレーに向うドライブの途中、空に浮かぶ月を見ながらアンが「暮れなずむ 空にかかる細い新月 一度だけ出会った娘の くっきりとした眉を想う」と詠う歌は、『万葉集』にある大伴家持の和歌「ふりさけて 三日月見れば 一目見し 人の眉引き 思おゆるかも」ではないかと思う。エレノアが日本最古の歌集を知っていることに驚かされるワンシーンである。
監督・脚本/エレノア・コッポラ
製作国/アメリカ
発売・販売元/TCエンタテインメント
価格/DVD ¥3,800(税抜)
©American Zoetrope, 2016

PROFILE

土谷未央
菓子作家。東京都生まれ。多摩美術大学を卒業。グラフィックデザインの職に就いた後製菓を学び、2012年に映画をきっかけに物語性のある菓子を制作するcineca(チネカ)を創始。2017年頃からは菓子制作にとどまらず、企画や菓子監修、アートワーク・執筆業なども数多く手がける。日常や風景の観察による気づきを菓子の世界に落とし込む手法を得意とする。菓子の新しいカタチ、価値の模索、提案を行う。
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