cinecaのおいしい映画
Mar 30, 2022 / CULTURE
“夜のにんじん”
映画を題材にお菓子を制作する〈cineca〉の土谷未央による連載。 あなたはこのお菓子を見て、何の映画かわかる? 自分が知っていたはずの映画も、視点や考え方を少し変えるだけで全く違う楽しみ方ができる。それは、とてもアーティスティックで素敵な感性。
PHOTO_Anna Miyoshi (TRON)
明るい時間には見えない人の顔があるのだろう。太陽が照るうちは、 息を潜めていた顔が、夜の月明かりに照らされてのっそりと姿を現す。 まるで煙のように実体が不確かなもののかたちが見えてくるようだ。
『ナイト・オン・ザ・プラネット』の舞台になるのは、ロサンゼルス、 ニューヨーク、パリ、ローマ、ヘルシンキの五都市の、夜半から夜明けまでの時間を駆けるタクシーという空間。客と運転手の取り止めもない会話をオムニバス形式で紡いでいく中で、とくにうつくしい哲学を感じるのはパリのストーリーだ。
午前4時7分。コートジボワール出身のアフリカ系フランス人の運転手は、少々厄介な客を降ろした後、視覚障害者の女性を乗せる。 白杖を使ってタクシーまでの距離を歩き自分で扉を開けて乗り込んだ彼女は、通ってほしい道を指定しながら目的地を告げる。運転手は、 客にわかるまいと、指示とは違う道を走り目的地へ向かうが、やすやすと道の違いに気付かれてしまう。
生まれつき視覚のない彼女は、映画も観るしギターの形もわかると言う。そうだとしたら、「おれの肌の色は ?」「もし人参がブルーだったら?」と、質問を重ねる運転手に、「そんなこと関心ないわ」「ブルーだって人参、色の違いなんて無意味よ」と彼女は返すのだ。
「人参」と聞いて、子供の頃駄菓子屋でよく目にしていた“にんじん” を思い出した。所狭しと手のひらサイズの駄菓子がひしめき合う中で、 群を抜いてのっぽな人参の形のポン菓子。一袋40円とは思えないほどたっぷり、と錯覚する円錐形に惹かれて手にした人も多いだろう。
あらためてにんじんについて考察すると、米を熱と圧力で膨張させただけのポン菓子と、人参という野菜は、まったくもって関係性がないことに気が付く。お菓子が人参(食べもの)の形の包装に包まれているということは、原材料に人参を含むお菓子だと考える十分な理由になるはずなのに。目の前の常識をすっ飛ばした冗談みたいなお菓子は、かれこれ60年近く愛され続けている。
1920年頃に日本で広まったポン菓子は、戦時中から多くの人に喜びを運んできた。食糧難の中で配給された雑穀を、お腹も心もどうにか満復感を得られるようにと工夫してつくられたお菓子。戦争が終わり、 時代の変化とともに人参型の包装に隠れた優しさは、いつの間にか心地のよい違和感となった。そしてその違和感がにんじん誕生の背景にまで想いを馳せさせる。これが長年愛され続ける理由なのだろうか。
食べ物を前にすると目から集めた情報に導かれ、容易に結論づけてしまう癖が往々にあるが、人参の包装だから人参のお菓子というものばかりではちょっとつまらない。人参の包装だけどポン菓子の世界には、想像力を受け止めるふっかりした余白があるのだ。
視覚がある人にとって、闇の世界の想像は簡単ではないが、タクシーに乗り込んだ盲目の彼女が見えないものを見る感覚を、私は想像して生きていきたい。わかりやすいものばかりに囲まれて暮らすと、気が付かないうちに盲目的になっていることがある。そんな中、中身を語らない包装のにんじんは、想像する心の浮上を助ける稀有な存在。
この先の10年、いや100年先まで、にんじんが愛され続けてほしい。 40円の素朴で破天荒なお菓子が、見えるものと見えないものを繋ぐ、 架け橋になる気がしているからだ。
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