cinecaのおいしい映画

『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』

Dec 03, 2021 / CULTURE

“最後の一枚のクッキー”

映画を題材にお菓子を制作する〈cineca〉の土谷未央による連載。 あなたはこのお菓子を見て、何の映画かわかる? 自分が知っていたはずの映画も、視点や考え方を少し変えるだけで全く違う楽しみ方ができる。それは、とてもアーティスティックで素敵な感性。

PHOTO_Tomo Ishiwatari
EDIT_Hitomi Teraoka (PERK)

 子供の頃は、一つひとつの感情の距離が近かった。怒ってもすぐに笑ったり、楽しくても急に悲しくなったり、喜怒哀楽の往来に忙しい毎日で、だから一日の時間は今よりも長かったのかもしれない。

 いつの間にか大人になって、私は感情の一つひとつを切り離すようになった気がする。楽しいときに悲しんではいけない気がするし、哀しいときに笑ってはいけない。それはうっかり世間の“空気”を読んで生きてきたゆえに形成された自我でもあるだろう。

 『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』。犬のような私の人生。12歳の少年イングマルは、母親の病気が悪化して、愛犬や兄弟、母と離れ、地方に住む叔父夫婦のもとでひと夏を暮らすことになる。母が病んでいることも父がいないことも悲しいのに、友達とサッカーをしたり、叔父さんと小屋でコーヒーを飲んだり、楽しいこともいっぱいある。イングマルの毎日にはいろんな感情が共生しているから、大きな悲しみがあっても世界の否定にはならない。

 そういう無邪気な世界を観せられて、私にもそんな時代があったのかもしれないと追想し、眩しい時間を懐かしむ時間を与えてくれる映画。

 どうしたって感情が無邪気になる時間はなかなか持てなくなってしまったけれど、ひとつだけ自覚している無邪気な時間がある。

 私は毎日おやつを食べる。甘味中毒者の私にしてみたら、おやつは食事と同等の価値を持って日常に取り込まれている。むろんおやつを食べない日はないし、呼吸のようになくては生きられないもの。それに、机から離れられず、頭がくしゃくしゃと崩壊しかけのときはしっかり脳みその栄養にもなる。息を吸う感覚でほとんど無意識にお皿の上のおやつを食べ進めていくと、最後のひとつが大袈裟な迫力でこちらを向く時間がやってくる。

 こちらとしてみれば、無意識下ながらゆっくりと大切に食べ進めたつもりなのに、現実は残酷である。あっという間に訪れる最後のひとつとの対峙の時間。私は、このひとつをすくい上げる恍惚な感情も、お皿が空っぽになり興ざめな景色も知っている。喜びと悲しみがお皿の上に共生し、そのどちらかをいつ終わらせるかの選択を迫られる。

 喜びをとるか悲しみをとるか、何度も自分の中で感情を往復させるその時間だけは、子供の頃にかえるようだ。

 人工衛星スプートニク2号に乗せられて宇宙へ行ったライカ犬と自分をたびたび比べるイングマル。彼女の運命に比べたら自分の人生の方がよっぽどラッキーだと、子供ながらに客観的人生論を持っている。

 ライカ犬は、地球軌道を周回した世界で最初の動物という(人類の)喜びと、孤独に死ぬ悲しみの両方を背負って宇宙へ旅立った。そんな事実からも、喜びと悲しみの共生が見えてくる。悲しみがあるから喜びがあるように、喜びがあるから悲しみがある。つい忘れてしまう相反する感情の共生を、お皿の上の最後のひとつのおやつが、思い出させてくれるのだ。

『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』(1985)
監督:ラッセ・ハルストレム
製作国:スウェーデン

大の犬好きのラッセ・ハルストレム。監督の故郷スウェーデンで撮影された本作が出世作となり世界で知られるようになったことも関係あるのか、本作以降、犬が登場する作品は多い。犬を主人公にした『僕のワンダフル・ライフ』は、犬の視点から人が生きる意味について問う感動作であり、言葉をなくしてしまった人や犬好きは必見。

Photo by Getty Images

PROFILE

土谷未央
菓子作家。東京都生まれ。多摩美術大学卒業。グラフィックデザインの職に就いた後製菓を学び、2012年に映画をきっかけに物語性のある菓子を制作するcineca(チネカ)を創始。2017年頃からは菓子制作にとどまらず、企画や菓子監修、アートワーク・執筆業なども数多く手がける。日常や風景の観察による気づきを菓子の世界に落とし込む手法を得意とする。菓子の新しいカタチ、価値の模索、提案を行う。
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