cinecaのおいしい映画
Apr 28, 2022 / CULTURE
“マシュマロ・ケバブ”
映画を題材にお菓子を制作する〈cineca〉の土谷未央による連載。 あなたはこのお菓子を見て、何の映画かわかる? 自分が知っていたはずの映画も、視点や考え方を少し変えるだけで全く違う楽しみ方ができる。それは、とてもアーティスティックで素敵な感性。
photo_Nahoko Suzuki
Re-Edit / PERK 2019 May Issue No.31
「人生は変化。死は一つの時間と場所にとどまること」。そんな信念を持つ母と娘二人の物語が軽快に描かれる『恋する人魚たち』。いつも棒突きキャンディを口にくわえている母レイチェル、キスしただけで妊娠すると思い込んでいる尼志望の長女、家の中でも水泳帽を被り、 英仏海峡の横断を夢見る次女。個性的な女が集まるフラックス家の通算引っ越し回数は18回。男にフラれると引っ越しを決めるレイチェルは、車一つにすべてを詰め込んで次の街へと旅立つ。彼女たちの人生の半分は移動時間かもしれない。
最近は、定住せずに移動しながら生活する“アドレスホッパー”と呼ばれる人たちもいるとか。1963年のアメリカが舞台の『恋する人魚たち』。親密なコミュニティや芝生が手入れされたうつくしい街並みがある、住み心地のよい家に根を下ろして暮らすことがアメリカンドリームだった時代に、フラックス家は時代を先取りしていたようだ。
レイチェルは、ある日の夕飯にマシュマロやグミを串に刺した料理を用意する。片手で食べられるオードブルスタイルに恥じることなく「今日のディナーよ」と娘たちに差し出す姿は、なんて小気味よいのだろう。
みんなで一つのテーブルを囲み、メインディッシュに思いを巡らせながら今日の一日を振り返る食事の時間が、“幸せな家族”の代名詞のように描かれることが多いけれど、フラックス家の女性たちが同時にテーブルを囲む時間は少ない。簡単につくられた料理をそれぞれが好きな場所で食べるのがスタイルだ。それは、身勝手な母親の虐待とかではなくて、女だけで楽しく生きるための大切な儀式のようなものに思えるのは私だけだろうか。
調理をする時間と食事をする時間、どちらの時間が長いのだろうと考えるときがある。手間をかけてつくったのに、あっという間に片付く悲しみを抱えるのは、キッチンに立つ者の宿命だろうか。調理よりも食べる時間を長く持ちたいと願うのは私だけではないはずだ。忙しく暮らしていると、いつの間にか食事をすることが苦難の時間になっていることがある。ただただ楽しい食事の時間を持つことは夢なのだろうか。
例えばケバブは、遊牧民の間でずっと重宝されている料理だ。鍋や鉄板のような調理器具がなくても調理が可能な炙り焼きは、生活に移動を伴う遊牧民によってちょうどよく工夫された料理。なにより、ケバブ最大の魅力は、咀嚼が“調理”となることにある。素材そのものの味の連なりを、食べる側が口の中で調理し、料理として完成させる。 ケバブスタイルを愛用するフラックス家は、もしかしたら、遊牧民にならっているのかもしれない。楽しい食事の時間が、串刺し料理によって叶えられる予感もする。
常識に縛られない自由な価値観で生きるフラックス家は、調理や手間の時間を省いても、幸せが省かれるわけではないと語るようだ。簡単な料理を楽しみ、当たり前ではない食事のかたちで、自分たちだけの幸せをつくる工夫をしているようにも見える。
「今日のゴハンどうしよう」が心のため息になってしまった自分へ串刺し料理をおすすめする。冷蔵庫の中にぽつりぽつりと残された食材を一つの串にまとめて、少し炙ったら舌の上で味を躍動させる。茄子とチーズとこんにゃくとトマトとマシュマロと……どんな味になるのだろうと妄想していたら、なんだか食事の時間が待ち遠しくなってきた。
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