cinecaのおいしい映画
Sep 30, 2021 / CULTURE
“痕跡のクッキー”
映画を題材にお菓子を制作する〈cineca〉の土谷未央による連載。 あなたはこのお菓子を見て、何の映画かわかる? 自分が知っていたはずの映画も、視点や考え方を少し変えるだけで全く違う楽しみ方ができる。それは、とてもアーティスティックで素敵な感性。
PHOTO_Anna Miyoshi (TRON)
EDIT_Hitomi Teraoka (PERK)
光る不要を見つける日
平らに伸ばしたクッキー生地の左上の端から右に向かって、5cmくらいの丸の抜き型に小麦粉をひっかけながら、なるべく隙間を開けずにくるっくるっと抜いていくと、夜空に浮かぶ星のような、眩く光るあの形の余り生地がずらっと並ぶ。
『はちどり』には、見えないものが映るように感じた。1994年のソウル。14歳の少女ウニ(パク・ジフ)の背中のシーンから映画が始まり、よーく観ていると、母の背中、先生の背中、恋人の背中と、ウニの周囲の人々の背中がところどころに映される。その背中は、言葉よりも多くを語るように思えるのだ。
自分で自分の背中を見ることができないように、一人では見れない姿がある。それを教えてくれるのが、家族や友人や恋人なのだろう。誰と出会うか、誰と一緒にいるかで、どれほどに自分を知り、どれほどに世界を感じるかが左右されるのかもしれない。特に、中学生のような、大人と子供の間を揺れるような時分においては、“いい大人”との出会いはかけがえのないものになり得よう。
ある日、漢文塾の先生が、「知り合いの中で心まで知っている人は何人いるだろうか?」と、問う。顔を知る人は数えられないほどたくさんいるのに、心を知る人は一人もいないかもしれないと、それは、ウニにとって、他者=世界への気づきとなる言葉であった。
これまで正面からしか見ていなかった人々を、背面からも見てみようと、ウニから周囲へ送られる視線は、あきらかに多角的なものへと変化していく。そして、子供から見る母、妻から見る夫、父から見る娘、妹から見る兄のように、見る人が変われば、見られる人も変わり、さらに観察を重ねると、人は、時間や場所でころころと見せる顔を変えて生きることも知る。
例えば、昨日激しく喧嘩していた両親が、今日は何事もなかったかのように笑い、肩を並べて座っている光景を目にすることは、悲しく不可解であると同時に、自分にはまだまだ見えていない世界があるのだと、わくわくする出来事の一つだろうと想像する。
見る目が透るほどに世界の残酷さを突きつけられることもあるかもしれない。昨日まで在った感情も人も家も置きざりにして、ずんずんと前進していく世界。ようやく見つけた大切なものが突然消えて、もうまばたきすることをやめてしまいたくなるときもあるけれど、些細なことが明日を生きる理由になることも知っている。
いつものクッキー作りの時間。生地を伸ばして丸く抜き、丸いクッキーを焼く。残った生地をすぐにくしゃっと集めずに、少しのあいだ視線を落とすと、それが、夜空に浮かぶ星のように見えた。当たり前に練り直したり捨てたりしてしまうその丸の痕跡を、今日は星のような形のままに焼いてみる。ちっぽけな私の発見だけれど、これまで見えなかった形を見つけた瞬間、今まで見ていた景色が新しく見えた瞬間、その瞬間瞬間に、私はこっそり生まれ変わって生きていくのだ。
この目がまばたくごとに、世界の扉を一つずつ静かに開けていくような気持ちを抱えて、今日も止まっているように見えるほど、たくさんたくさんのまばたきを重ねて世界を見るように。
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