cinecaのおいしい映画

『マダム・イン・ニューヨーク』

May 30, 2022 / CULTURE

“ハートのシュー”

映画を題材にお菓子を制作する〈cineca〉の土谷未央による連載。 あなたはこのお菓子を見て、何の映画かわかる? 自分が知っていたはずの映画も、視点や考え方を少し変えるだけで全く違う楽しみ方ができる。それは、とてもアーティスティックで素敵な感性。

photo_Tomo Ishiwatari

Re-Edit / PERK 2019 November Issue No.34

 「思い切り楽しみたいの、今日が最後の日のように」とエリザベス・ テイラーは言った。『雨の朝巴里に死す』のワンシーンをシャシは食い入るように見つめている。
 2012年のインド映画『マダム・イン・ニューヨーク』は、一人の主婦の姿を通して、女性の尊厳について語る。女性の生きる道が限られる国インドで、映画の題材としてそれまであまり語られることのなかった“女性の生き方”が描かれることが、当時新しい作品だった。  
 主人公は普通の主婦、シャシ。これまでの人生、“良妻賢母”として、夫のサポートや子育てに勤しみ生きてきた。自分のことを後回しにしてきたから、あまり英語が得意ではない。一方子供たちは、まだ小さいながらも、十分な教育を受けてすっかり英語はお手のもの。シャシが英語を口にすると、子供たちも英語が流暢な夫も彼女の変な発音を笑う。当人に傷つける意思がなくても、家族に笑われるたびにシャシは傷つき、少しずつ自信を失っていった。 
 ある日、ニューヨークに暮らす姉から姪の結婚の知らせがあり、シャシは、姉家族の元へ一人で旅立つことになる。はじめてのニューヨ ーク。せっかくだからと街歩きをしてみるものの、自信のない英語力が足を引っ張り、心細さが付き纏う。食べたいものも飲みたいものも満足に買い物できず、行きたい場所へ自由に行けない不自由な自分に落ち込んでしまう。人の流れがあまりに忙しいニューヨークの街で、 一人涙するその視線の先に、一台のバスが通った。その車体に目立つ広告には、「4 週間で英語をマスター」と書かれている。そんなうまい話があるわけないと疑いつつも、藁にもすがる思いで英会話教室への入会を一大決心した。
  家族には内緒にして、一人でこっそり通いはじめた英会話教室。そこには、スペイン、フランス、中国、アフリカ、インド……さまざまな国からニューヨークへやってきた人々が集まっていた。各々の事情で辿り着いた異国の地で、英語を学ぶクラスメート。国は違えど、抱える悩みや想いには共感も多くて、ここでは互いに国境を持たないことを誓い合う。みんなで映画を観たり、コーヒーを飲んだり。いつの間にやら家族のような場所となった英会話教室で、シャシの英会話もメキメキと成長していくのだ。
 自分のことが嫌になってしまうと、自分のまわりのことも嫌になってしまうことがある。それは、今の生活を捨てて新しさを求める結果にもなるかもしれない。しかし、自分を愛することを知れば、古い生活の中にも新鮮さが見えてくるはずだ。自信を取り戻せば、相手と対等な場所に戻ることがきっと叶う。家族や他者からの尊重を求めて、彼女は自身を向上させる道を選んだのだ。
 「自分を助ける最良の人は自分」とシャシは言う。人生という長い旅の中では、他者からの充足を待つだけでは足りないときもあるだろう。 すっかり自信をなくして、心がしぼんでしまったときは、身体のどこか に隠れている空気入れを探してみよう。見つけたそのポンプを手に握って、しぼんだ心にふぅーと空気を含ませていく。まあるく膨らんでふかっと空いたその空洞には、欲しい味のクリームを入れることだってできるんだ。そうして、見違えるほどに生まれ変わったおいしい自分の中には、愛や敬意や誇りを見つけることも叶うはずなのだから。

シャシを演じたシュリデヴィ・カプールはボリウッド映画界伝説の大女優として知られるが、1997年の結婚を機に女優業を一時休業。『マダム・イン・ニューヨーク』は、そんな彼女の15年ぶりのスクリーン復帰作となったことでも話題になった。
監督・脚本:ガウリ・シンデー
製作国:インド
発売・販売元:アミューズソフト
©Eros International Ltd.

PROFILE

土谷未央
菓子作家。東京都生まれ。多摩美術大学卒業。グラフィックデザインの職に就いた後製菓を学び、2012年に映画をきっかけに物語性のある菓子を制作するcineca(チネカ)を創始。2017年頃からは菓子制作にとどまらず、企画や菓子監修、アートワーク・執筆業なども数多く手がける。日常や風景の観察による気づきを菓子の世界に落とし込む手法を得意とする。菓子の新しいカタチ、価値の模索、提案を行う。
http://cineca.si/
@cineca