cinecaのおいしい映画

『空気人形』

Nov 26, 2020 / CULTURE

“ホンモノのバースデーケーキ”

映画を題材にお菓子を制作する〈cineca〉の土谷未央による連載。 あなたはこのお菓子を見て、何の映画かわかる? 自分が知っていたはずの映画も、視点や考え方を少し変えるだけで全く違う楽しみ方ができる。それは、とてもアーティスティックで素敵な感性。

PHOTO_Haruka Shinzawa

Re-Edit / PERK 2018 November Issue No.28

ハッピーバースデートゥーミー

 風が顔にあいさつして通り抜けていくような季節になると『空気人形』を思い出す。とある小さな町でうだつのあがらない独身の中年男(板尾創路)がラブドール(=空気人形)に〝のぞみ〟と名付け暮らしていた。ホンモノの恋人のように扱われていたからか、のぞみ(ペ・ドゥナ)はある日突然心を持つようになる。それは軽やかさと重くるしさとを行き来する美しくて残酷な物語。肌寒くなってきた頃に決まって観たくなる映画だ。

 心を持つというのはどういうことなんだろう。豊かで幸福なことなのか、寂しくて苦痛なことなのか。ガラス瓶には決まってソーダという中身があるように、心は、私たち人間という容れ物の〝中身〟になるのかもしれない。中身が人を作り、なくなれば人はただの器になる。

 いつもは語らぬ静かな心も、誰かとコミュニケーションを持った途端に揺さぶられ、その振動が知らせるものは多い。生まれてから確かにずっと心はここにある。ゆっくりと時間をかけ、関係を重ね、振動を繰り返し、心は作られていく。

 他人と関わりを持つとき、相手を傷つけたり自分を守ろうとしたり、楽しさよりも苦しさが強く複雑でややこしくなってしまうこともある。人と人の関係性の中にはいろんな山が用意されていて、目の前に立ちはだかる。その先には今まで知らなかった感情が待っているはずだけど、山はなかなか険しく越えられるか越えられないか試される。

 苦しいことに本気で向き合ったとき、誰かと繋がりを深く感じたとき、痛い気持ちに愛おしさを知ったとき、私たちは新しい命を手にすることができるのかもしれない。

 贅沢でわがままで不器用な人間という生きもの。人が人を産み、人が人を育て、その命は弱々しくて、必死で、頼りなくて、エロティックだ。

 私は昨日までニセモノだった。空っぽだった。気づきが自分に生を知らせ、誰かに息を吹き込まれてホンモノになる。そして今日が、私の本当の誕生日になるのかもしれない。

美術監督は、石井聰亙、相米慎二、周防正行監督作品にとどまらず、スタジオジブリや三谷幸喜作品などの美術を手がけてきたことで有名な種田陽平。彼の作る世界があまりに美しく絵を鑑賞するように楽しめる。劇中ぺ・ドゥナが朗読する吉野弘の詩『生命は』のシーンは必見。
監督・脚本/是枝裕和 
原作/業田良家 
製作国/日本
発売・販売元/バンダイナムコアーツ
Blu-ray&DVD発売中 
©2009 業田良家/小学館/『空気人形』製作委員会

PROFILE

土谷未央
菓子作家/映画狂。東京都生まれ。多摩美術大学卒業。グラフィックデザイナーとしてデザイン事務所勤務後、製菓学校を経て2012年に映画をきっかけに物語性のある菓子を中心に制作する〈cineca(チネカ)〉を創める。手法として日常や風景の観察による気づきを菓子の世界に落とし込む。毎日映画を観ている。執筆業なども手がける。
http://cineca.si/
https://www.instagram.com/cineca/